Alone on the 45th Floor During the Big Earthquake (Part 1)

Today we’ve had the first guest since the program renewed.

Tasnoova Tahia, a Bangladeshi woman who had a big earthquake on 45th floor of a tower apartment in Toyosu, Tokyo. How did she feel at the moment? What did things go through her head while her room was swaying? Listen to Podcast below! She’ll be with us next week, too, and talk about the information which is needed by foreigners in a time of disaster.

*Information;
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今夜のトーク in 日本語

番組の一番最初、中央区周辺にお住まいの皆様にクイズをお出ししました。今日のゲストさんは、一体どこの国から来た方なんでしょう?ということで、以下のヒントを出しました。
① アジアにある国
② 東南アジアにある国
③ インドの近くにある国
④ その国の国旗は、日本の国旗に似ている

もう答えはお分かりですね。今週のゲストは、バングラデシュ出身のタスヌーバ・タヒアさんです。新番組が始まって2回目、早くもゲストをお招きしました。というのも、タヒアさんは江東区豊洲のタワーマンションの45階で、3月11日の大地震を体験したからです。「外国人に寄り添う番組」であるMy Eyes Tokyoとして、できるだけ早く、地震を体験した外国人の方々の声を届けたいと思いました。

さて、その内容について。まずは”Tokyo Chatter”前半です。

(アイリーン)「3月11日の地震の時、タヒアさんはタワーマンションの45階のご自宅にいらしたんですよね?」
(タヒア)「そうです。ちょうど家に帰って来たばかりでした。地震が起きる5分前でしたね。私が住んでいるマンションでは、震度3レベルの地震を感知するとアラームが鳴るんですが、この時も鳴りました。私は”いつものことだな”と思って、普段通り過ごしていました。
だけど、いつまでたってもアラームが鳴り止まない。危険な状態かもしれない、だけど何をすれば良いのか、全く分かりませんでした。このクラスの大地震は、生まれて始めてでしたから、以前教えられていた”机の下に隠れる”とか”枕を頭の上に乗せる”みたいなことは、すっかり頭から飛んでいたんです」
(マヤ)「頭が真っ白になった」
(タヒア)「そうです。マンションの45階から下に降りようとしても、エレベーターが止まっていました。階段で下に行こうにも、その高さでしょう?」
(アイリーン)「でも、電気は通っていた」
(タヒア)「それがラッキーでしたね。ただ最悪だったのが、携帯電話。私は夫や友人と連絡を取りたかったんだけど、できませんでした。だから余計に怖くなったんです。そんな折に机や棚から物が落ちて、割れました」
(マヤ)「本当に?でも、揺れはどんな感じでしたか?小刻みに揺れたか、大きく揺れたか」
(タヒア)「大きく揺れた感じです。揺れの振れ幅が大きかったんです」
(マヤ)「45階だから」
(タヒア)「そうです。自宅のあるマンションは、高くて幅が狭いから、バランスを保とうとして大きく揺れたんでしょうね」
(アイリーン)「多分そのマンションは、耐震構造がしっかりしているんでしょうね」
(タヒア)「ビルの基礎部分にバネがあると聞いています」
(マヤ)「でも”このマンション、こわれちゃうんじゃないか”って思いませんでしたか?」
(タヒア)「いえ、絶対にそんなことにはならないって思っていました。”かつてないほど大きい地震が来ない限り”と。でも、今回の地震が”かつてないほど大きな”ものなんじゃないかと、フト思ったんです。それですごく怖くなりました。これから何が起きるんだろう、と・・・その当時、その瞬間、私の住んでいる45階には私しかいなかったんです。他の部屋の人は全員外に出ていました。私はその階でひとりぼっちだったんです。だから余計怖くなりました。
でもラッキーだったのは、マンションの3階のコンシェルジュと電話がつながったことです。彼女たちの対応は素晴らしかったです。私の不安を和らげてくれました。しかも電気は通っていたので、テレビを見ることができました。
でも・・・テレビから流れてくる震源地付近の映像は、この世のものとは思えないほど悲惨なものでした。
東京にいて助かった私の身なんてどうでもいい。ここに住む人たちはどうなったんだろう・・・そんな思いでいっぱいになりました」

(アイリーン)「あと、津波ですよね。あの映像を見た時は、すごくショックでした」
(マヤ)「バングラデシュでは、津波への備えというのはやっているんですか?・・・あ、タヒアさんの故郷は内陸部でしたよね」
(タヒア)「それほど奥まったところにあるというわけではないです。バングラデシュの南部だから、海には若干近いです。でも津波は経験したことがないです。だから正直言って、私たちは大津波に対して何の準備もしていないのが実状です」
(マヤ)「それにしても、今回の地震でタヒアさんは、ご自身が”死ぬんじゃないか”と思ったって聞きましたよ」
(タヒア)「午後2時46分の最初の揺れの時、頭が真っ白になりました。それからすぐ後に2回目の大揺れが来た時、自分は死ぬんじゃないか、と思いました」
(マヤ)「それって余震のことですか?」
(タヒア)「いえ、大きな揺れが確実に2回起きたんです。それも短い間に。その2回目の時に、両親の顔が脳裏に浮かびました。心の中で弟たちに”元気でね”とつぶやきました。”天国から見ているよ”って(笑)最悪の事態に向けて、心の準備をしていたんです。でもありがたいことに、今ここにいます」

そして”Tokyo Chatter”後半。このタヒアさんの地震体験を受けて、アイリーンさんとマヤさんが3月11日午後2時46分に何をされていたかを聞きました。ちょうどECCの教室に行く準備をしていた時に起きたそうで、長い揺れが収まったあとにマヤさんは教室に急行したそう。生徒さん不在で教室も特に異常ないことを確認し、ホッとしたのも束の間。今度は携帯電話が通じない。アイリーンさんと連絡が取れないので、自転車でアイリーンさんのご自宅に駆けつけました。そして2人で教室に戻り、生徒さんが来るのを待ちましたが、結局は誰も来ず、メモ書きをドアに貼って教室を後にしました。その後はずっとテレビニュースに釘付けになったそうです。
ECCは地震の後2日間休み、週末には再開したそうです。

来週は「外国人が地震や災害の時に必要な情報」について、タヒアさんにお聞きする予定です。

追伸)6日後に迫った、My Eyes Tokyo初トークイベント、ぜひご参加ください!
詳しくはこちらをご覧下さい。