今夜のトーク in 日本語

今週も、国籍や人種を越えて被災地に救いの手を差し伸べた人々のエピソードをお送りします。第3弾となる今回は、English担当パーソナリティのマヤさんが出会った素敵な人たちのご紹介です。東京から仙台までの約400キロを自転車で走りながら、東日本大震災の被災地への募金を募るプロジェクト「Tohoku Shine On! Cycle Challenge」を敢行した3人の外国人たちです。


○ スティーブ・コリンズさん。アメリカ・シアトル出身。日本に20年以上在住、高品質ペットフード「K9(ケイナイン)ナチュラル」経営。


○ レイ・ミーナンさん。アイルランド出身。今年7月で日本在住23年を迎える。金融会社勤務。


○ ポール・レナードさん。イギリス・ニューキャッスル出身。約20年日本在住。フリーのグラフィックデザイナーとして活動。

 

● Tohoku Shine On! Cycle Challengeとは?
(スティーブ)「私たちの募金活動です。その募金は“タイラー基金”という団体を通じて被災地の方々に届けられます。私たち3人は日本に20年以上住み、これまでたくさんの恩恵を受けました。だから何とかしてこの国にお返しがしたいと思い、このアイデアを思いついたのです」
*このプロジェクトの詳細はこちらをご覧下さい。

 

● 実際にこのアイデアを思いついたのは誰ですか?
(スティーブ)「私の友人で、白血病患者のための募金をするために、九州南端から北海道の北の端まで自転車で走破した人がいました。もう17〜18年前のことですが、1ヶ月ほど前にそのことをポールに話しました。それがきっかけですね。日本縦断だと3ヶ月くらいかかってしまうと思いますが、東京から仙台ならだいたいの距離は見当がつきます。それにゴールデンウィークも近かったし、ポールは仙台でボランティア活動をしたいと思っていた。そんな我々の思いが一つになって、2〜3日でこのプロジェクトを立ち上げました。

 

● 募金を募ったということですが、それを受け取ったのは誰なんですか?
(スティーブ)「日本ではまだそれほどポピュラーではありませんが、私たちは難しいことにチャレンジして、それを達成させる代わりに寄付を募るという方法を取りました。その募金の送り先は、タイラー基金という小児がん患者とその家族を支援する団体ですが、この時期ですので東北地方の小児病院の支援のために募金が回ります。そして我々が集めたお金は100万円以上に上りました。これらは全て被災地の子供たちの支援に回ります」

 

● 皆さんのような募金のやり方は、まだ日本では馴染みが薄いように思います。ちょっと説明していただけますか?」
(スティーブ)「確かにちょっと分かりづらいかもしれませんね(笑)僕らの出身地のアメリカやアイルランド、イギリスから、いろんな人が”日本を助けたいんだけど、どうすればいい?”と聞いてきます。僕らの国だけでなく、今や世界中が日本に対して何かしたいと思っています。
そのひとつの方法として海外でポピュラーなのが、何か難しいことに挑戦して、それに対して”こういうことをやるから、応援のために是非寄付をして!”とお願いする。こちら側にとっては、寄付を募る理由付けになります。私たちの行動は海外からでもチェックできるし、寄付も海外からできます。その際に大事なのは、我々のアクションが人々の心をつかめるか、人々の想像力をかき立てられるかなんです。難しいことに挑戦している人に対して寄付をすることは、みんなにとっても気持ち良いことだと思います。
こういう手法は日本では馴染みが薄いと思います。日本の人たちに理解していただくまでにちょっと手間取りました」

 

● 寄付の大半は海外から・・・ではなかった?
(スティーブ)「そうですね、大半は日本国内からです。海外からももちろんありましたけどね」

 

● 皆さんは一緒に自転車で、よくどこかに行ったりするんですか?
(ポール)「いえ、最近は特にしていません。15年くらい前にはよく3人で奥多摩とか行っていたんですけどね。でも最近は私たちそれぞれが忙しくなった関係で、そこまで一緒にサイクリングできていないのが実状です」
(レイ)「年をとっちゃったしね(笑)」

 

● 「今回のプロジェクトに際して、トレーニングはしたんですか?」
(ポール)「レイとスティーブは近所同士ですが、私だけ神奈川に住んでいるので、トレーニングは別々にやりました。準備にかけられる期間は3週間だけだったし、日々の仕事が最優先なのでトレーニングに充てる時間は限られまていました。それでも1日最低でも20〜30キロは走るようにしていましたね。
でもこのプロジェクトが終わった後、私たちは再び一緒に走るようになりました」

 

● まさに今回のプロジェクトが3人をつなぐ接着剤のような役目を果たしたわけですね。そしてトレーニングを経て東京から仙台まで行きました。距離は380キロとお聞きしていますが?
(レイ)「実際は380キロ以上ありました。1日目は東京から国道6号線経由で水戸までの110キロを走りましたが、道が平坦だったのでそれほどキツくありませんでした。だけど車やトラックが多かったですね。接触しないように気をつけて走りました。その日の夜は水戸第一ホテルに泊まって、温泉に入って足をほぐしました。110キロという距離はそれほど長くないようですが、自転車ですからね」

 

● そうですよね、110キロを1日で走ったんですから。それで、3〜4日で全行程を走り終えたんですか?
(レイ)「3日です。2日目は福島の原発避難区域をよけて走る必要があったので、ハンドルを左に切って内陸部に向かいました。山や丘があったので、それらを越えるのが大変でしたね。でも景色はとてもキレイでした。農村の田園風景が眼前に広がっていました。ゴールデンウィークということもあって、あまり人がいなかったのも良かったですね。
それに沿道の人たちがとても親切で、我々に飲み物を出してくれたり、我々の活動や行き先について興味深く聞いてくれたりしました。「仙台に行くんですよ」って言ったら、喜んでくれましたね。すごく良い人たちでした。
そして3日目は福島県須賀川市を出発し、目的地の仙台に向かいました。それまでで一番長い、140キロの行程でした。大変でしたね。でもそうやって3日間かけて東京〜仙台400キロを走破しました」


3人とも、プロのサイクリストでも何でもない人たち。しかも体力のピークは過ぎていると思われます。そんな彼らに3日間で400キロを走らせた原動力は「20年以上お世話になった日本に恩返ししたい」という思いでした。そんな3人が被災地・仙台で見たのはどんな光景だったのか、そして眼前の惨状を目の当たりにして思ったことや考えたことを、来週はお伝えしますので、引き続きお聴きください!

*寄付は「タイラー基金」を通じて被災地の子供たちに贈られます。
オンラインでも募金を募っています。こちらから。

 

☆☆☆ Information for 中央区の皆さん! ☆☆☆
「晴海春っ呼(はるっこ)まつり」が、5月20日(金)〜22日(金)、晴海トリトンスクエアにて開催されます。詳細はこちらから!
何と『My Eyes Tokyo』English担当パーソナリティのアイリーンさん率いるヒップホップダンスチーム”HMDG”が、5月22日(日)午後4時からパフォーマンスを披露!お楽しみに!

 

Theme songs of MET(番組テーマソング)

めっちゃくちゃ遅ればせながら、My Eyes Tokyoのテーマソングをご紹介します。いずれも私たちと深い縁がある方々です。

● Opening theme; “Good News” by Nothing Ever Lasts
我がMy Eyes Tokyoでもインタビューした、日本語ほぼネイティブレベルのネルソン・バビンコイさん率いる「Nothing Ever Lasts」が放つ、応援メッセージソングです!Positive Vibeを被災地に、そして全国に!との願いを込めて、この曲をオープニングテーマにさせていただきました。

Click! → http://www.youtube.com/watch?v=U4Od3FAM_bw

*Interview with Nelson Babin-Coy, the frontman of N.E.L.
http://www.myeyestokyo.com/aboutus/interview/pg30.html


Nothing Ever Lasts’ latest album “Silent Melodies” Buy now at Amazon!
Dragon Ashの全ての楽曲、HYやGacktなど幅広いアーティストのアルバムミックスも手がけるトップエンジニアをプロデューサーに迎えて制作した、N.E.Lの最新アルバム(写真をクリックするとAmazonにジャンプします)。

 

● New ending theme; “Jonetsu wo Torimodosou” (Rekindle the Passion) by Cigarette She Was
以前インタビューしたAP通信東京支局特派員の影山優理さんご推薦のロックバンド「シガレット・シーワズ」。彼らが送る『情熱を取り戻そう』が新エンディングテーマになります。ゆったりとした曲のテンポがエンディングにふさわしく、またポジティブな言葉がちりばめられているところにMy Eyes Tokyoらしさを感じました。何かに行き詰まりそうになった時、この言葉をつぶやいてみましょう – 「情熱を取り戻そう」。

Click! → http://www.youtube.com/watch?v=IZd6uSFtVQM

Cigarette She Was’ 1st album “Ai To Yume, Hikari To Gage” (Love & Dream, Light & Shadow)
*Buy Now at Amazon!
全てのロックと音楽を愛する人々に贈る傑作!シガレットシーワズ1stアルバム「愛と夢、光と影」 (写真をクリックするとAmazonにジャンプします)。

 

被災地にカレーを!(From Sri Lanka with love)


A buffet curry lunch at “Randiwa”. 「ランディワ」の食べ放題カレー。

Today we had no guest. Instead of that, we read an essay from a Sri Lankan man, who visited shelters in Fukushima with tons of curry meals. He went there with people from Sri Lanka and delivered curry and rice to evacuees. Curry meals were made at a Sri Lankan restaurant in Ibaraki called “Randiwa”. Why did he decide to visit the shelters? How did he feel there?
Also he told us what he thinks about news articles regarding radiation fallout. Listen to his voice via podcast below!

*Note: This Sri Lankan says that the death toll from the earthquake which hit Sri Lanka in 2004 has reached 800,000. But according to the data, 35,322 dead, 16,637 wounded, 5,637 went missing and 830,000 lost houses in the country.

今週はゲスト不在のMy Eyes Tokyoでした。いえ、本当はお呼びしたかったんです。だけどまずその方が、ここから大分離れた茨城県在住であること、そして顔も名前も声もメディアに載せたくないとの理由により、私たちが代わりに彼らの思いをお伝えいたしました。
茨城県南西部、東京都心から約50キロに位置する常総市。この街にあるスリランカレストラン「ランディワ」が、これまで約2000食のカレーを用意し、福島県内3都市(いわき・郡山・田村)の避難所に届けてきました。
でもなぜ、国籍も人種も異なる人たちに手を差し伸べたのでしょうか?それについては「ランディワ」のオーナーとのインタビューをまとめましたので、下のプレイヤーからPodcastをお聞きください。今回は英語だけでなく、番組内でも日本語に訳してお送りしましたので(笑)

*おことわり:番組内で紹介したレストランオーナーの声の中で「2004年のスマトラ沖地震による津波で約80万人が亡犠牲になった」というくだりがありましたが、データによればスリランカ国内では死者数35,322人、負傷者数16,637人、行方不明者5,637人、家を失った人が約83万人とのことです。

You can see photos of their activities in Fukushima ←彼らの活動を写した写真はこちらで!
*Photos by Katsutoshi Ito(撮影:伊藤勝敏さん)

<Information>
“Let’s Enjoy Children’s Day!” at Chuo-ku International Exchange Salon will be held from 1:30PM
on May 14 (Sat)! For more details, see http://www.chuo-ci.jp/en/pdf/salon_e.pdf

「こどもの日を楽しもう!」@中央区国際交流サロン 2011年5月14日(土)午後1時半〜
詳しくは http://www.chuo-ci.jp/pdf/salon/salon_j.pdf をご覧下さい。

A happy woman visited shelters.

Do you know “rakugo”? It’s a kind of s Japanese verbal entertainments.The lone storyteller (“rakugoka“) sits on the stage. Using only a paper fan (“sensu“) and a small cloth (“tenugui“) as props, and without standing up from the  sitting position, the rakugo artist depicts a long and complicated comical story.

Most of them are Japanese and perform in Japanese. But recently “eigo rakugo” or English rakugo has been performed in English and it’s become popular both in Japan and overseas. Today we talked to one of English rakugo performers over the phone.

Diane on YouTube! Click →http://www.youtube.com/watch?v=zCOetjUZvFk

Diane Orrett, A.K.A. Daian Kichijitsu, an Osaka-based rakugo performer. Her stage name originates from a Japanese word “taian kichijitsu (大安吉日)”, which means “Lucky Day”. We began the broadcasting with her original short story (Kobanashi), “The art gallery”.

A; Oh, what a lovely gallery, such a wonderful painting. Oh, this one… this is beautiful! This is a… Excuse me, sir! Sorry to disturb you, but is this a da Vinci?
B; This one? No madam. That’s a Rembrant.
A; Rembrant! Oh yeah, of course it is. I knew that. And this one… this is a Rembrant too, right?
B; No madam. That is a Monet.
A; Monet! Of course it’s a Monet, typical Monet style. I knew that. And… Oh dear, oh my goodness! Wow, this one is quite shocking, it’s really rather grotesque! No, no, don’t tell me, I know. This is a Picasso.
B; No madam. Actually that’s a mirror.

Such a really humorous woman went to Tohoku to entertain earthquake victims… But she visited there not as a rakugo performer. She has another face, too – a balloon artist.
Why did she go to the devastated areas? What did she look at and what did she feel? Please listen to the podcast below.

*Interview with Diane Orrett: http://www.myeyestokyo.com/aboutus/interview/pg50.html

<Information>
1. Tokyo Cruise. For more datails, check http://www.suijobus.co.jp/ (J/E/Chi)
2. A booklet for disaster prevention issued by Institute For Fire Safety & Disaster Preparedness called “Jishin ni Jishin wo”. It’s written in J/E/Kor/Chi/Port. In case of Chuo-ku, it’s available at the disaster prevention division counter and the alien registration counter in Chuo-ku City Office.

 

今夜のトーク in 日本語

今週は昨年の番組開始以来初の試み、電話インタビューをしました。お相手は大阪を拠点に活躍しているイギリス人女性落語家/バルーンアーティストのダイアン吉日さんです。ダイアンさんは1990年に来日後、故・桂枝雀さんに師事して落語を学び、落語道場などで修練を重ねた末に落語家としてデビューしました。英語落語だけでなく、日本語の咄も演じます。

[youtube]http://www.youtube.com/watch?v=J1NyNua5iXA[/youtube]

(マヤ)「まずは高座名の由来についてお聞きしたいのですが」
(ダイアン)「まず私の本名がダイアンであること、そしてとってもおめでたい”大安吉日”という言葉から来ています。来日後にこの言葉を知り、それが”ラッキーな日”という意味で、結婚式などをこの日に挙げる人が多いと聞いて、それを高座名に取り入れました」

人々に笑顔を届けるのが仕事のダイアンさんは、震災発生後の4月3日〜7日にかけて、津波の被害に遭った宮城県石巻市と女川町に慰問に行きました。その時の様子をお聞きしました。

(マヤ)「現地の様子はいかがでしたか?」
(ダイアン)「とても衝撃的でした。でもそこの人たちはとても前向きでポジティブでした。どこまで行っても家が無く、基礎部分だけがむき出しになっている街の光景に言葉が出ませんでしたが、本当にそこの人たちは素晴らしかったです」
(マヤ)「ダイアンさんが行ったのは、避難所ですよね」
(ダイアン)「そうです。でも家が流された人たちだけでなく、家はあるんだけどもガスや水道、電気が通っていないという人もいました。私たちは大阪で集めた衣服やタオル、食料を配りました。私が子供たち向けにバルーンアートを披露している間、親御さんたちが私たちが持って来た箱を覗き込んでいましたね」
(マヤ)「避難所で落語はできましたか?」
(ダイアン)「いえ、できませんでした。避難所には多くの人が固まって寝ているわけだから、果たしてそういう場所で落語をやっていいものか、と思ったんです」
(マヤ)「だからバルーンアートをやったんですね」
(ダイアン)「そうです」
(マヤ)「子供たちは喜んだでしょうね!」
(ダイアン)「だから私は宮城に行きたいと思ったんです。テレビで見たら、子供たちはその状況に混乱したりストレスが溜まったりしていたわけですから」
(アイリーン)「トラウマになる子供たちもいたでしょうね」
(ダイアン)「まさしくそうですよね。でもバルーンアートで、人は笑顔になります。私はバルーンで被災地の子供たちにきっと笑ってもらえるだろう・・・そう思ってバルーンを用意して行ったんですが、実際は子供に限らずいろんな人が見に来ましたよ(笑)」
(マヤ)「きっとダイアンさんのショーが良い息抜きになったでしょうね」
(ダイアン)「そうですね、元気づけることができたと思います。一番高齢のお客さんは、96歳の方だったんですから!」
(マヤ)「実際の子供たちの反応はいかがでしたか?」
(ダイアン)「とっても喜んでくれました。中にはショーが始まってもボーッとしている子供もいましたが、周りが参加しているのを見て、徐々にその子たちも活発になった感じでした。ワークショップもやったんです。バルーンアートで私が作ったものをあげるのではなく、みんなといっしょに風船で何かを作るという体験をプレゼントしました。それで自信をつけた子たちもいました」
(マヤ)「実際に、例えば動物の作り方を教えたとか?」
(ダイアン)「犬とかですね。あと私が風船をカットして、帽子を作ってもらったり。カラフルなね」

(マヤ)「そもそもダイアンさんが被災地に行ったのは、現地の人たちを元気づけたいと思ったからとのことですが、そこに行くことに躊躇いは無かったですか?」
(ダイアン)「そうですね、きっと現地に行ったら衝撃を受けるんだろうと思っていたし、平常心を保っていられないだろうと思っていました。だから心の準備をしました。だって観客の皆さん、つまりはそこのにお住まいの方々に、私がその地でショックを受けているなんてこと、知られたくないじゃないですか。余震も続きましたから・・・
でも行くならその時(4月初旬)だと思いました。私は被災地の方々に何かしたいとずっと思っていたし、私には皆さんに笑顔を取り戻してもらうことができるという自信がありましたから」
(マヤ)「避難所の空気はいかがでしたか?人はすごく前向きだったとおっしゃっていましたが」
(ダイアン)「その通りです。すごく元気で明るくて、私たちの今回の訪問にすごく感謝してくださいました。私たちを歓待してくれたし、とってももてなしてくれました」
(マヤ)「それはダイアンさんが、辛いことを忘れさせてくれる人だったからでしょうね」
(ダイアン)「そうですね。それに現地の人たちからもユーモアセンスが失われていなかったんです。前に進んで行こうという気概もうかがえましたし」
(マヤ)「聞いているこちらも励まされます」
(ダイアン)「本当ですよね。それに、元気をあげに行った私が元気づけられた瞬間さえあったんです。改修工事中のお店の前でバルーンショーをやった時、近くの青果店の人が来て、必要なものがあったら言ってくれ、とおっしゃいました。しかも飲み物まで下さって!私こそがお世話になりました(笑)素晴らしい方々に巡り会えましたね。青果店の方は、ショーのための看板を用意してくれましたし。確かにモノは無くなったかもしれないけど、すごく前向きでした。私がショーを終えて帰ろうとしても、子供たちは私を離してくれませんでした(笑)本当に素晴らしかったです」

震災後は大阪でも仕事が減ってしまったというダイアンさん。でも被災地の方たちは、きっとダイアンさんと再会できるのを、きっと心待ちにしていると思いますよ!こんな時だからこそ笑いが必要なのだと、私は思います。

*ダイアン吉日さんホームページ:http://www.diane-o.com/